「稽古」に立ち返る

現代において「稽古」という言葉は、しばしば単なる「練習」として捉えられています。技を繰り返すこと、動きを磨くこと。もちろん、それも稽古の一側面ではあります。しかし私たちが武の道に身を置くうえで、この言葉の本来の意味に立ち返ることは、極めて重要です。
私たち劔和會では、ただ動きを反復するだけではなく、「稽古とは何か」を常に問い続けています。それは、己の成長のためであると同時に、先人たちの残してくれた教えに真正面から向き合う姿勢でもあります。
「稽古」の語源 – 古を稽える(かんがえる)

「稽古」という言葉は、「古(いにしえ)を稽(かんが)える」という意味を持ちます。つまり、昔の人々の行いや思想を深く考え、そこから学ぶことを指すのです。
日本文化には、目に見えないものを尊び、先人の知恵に耳を傾けるという精神が根づいています。武術の世界も例外ではなく、流派として受け継がれてきた技や所作には、時代を超えて生き続ける「意味」が宿っています。
稽古とは、過去を見つめ直すこと。私たちは形(かた)を通して、先人との対話を試みているのです。
流派の形(かた)に宿るもの

劔和會で学ぶ流派の形は、単なる技術だけではありません。そこには、流祖や歴代の師たちが命を賭して伝えてきた「精神」が息づいています。
形は、時に不自然に感じられることもあります。しかし、その動きの一つひとつには意味があり、工夫があり、理が通っています。そこには、戦いのためだけでない、生き方としての武が表現されているのです。
私たちが形を修めるのは、技を覚えるためだけではありません。形を通して、先人が何を思い、どんな問いを抱いていたのかに触れるためです。
書物を通じて学ぶ稽古
武術は形と口伝で継承されてきた文化ですが、数多くの書物や記録もまた、その知恵を残しています。古文書、武術書、伝書など、そこに書かれているのは、単なる技法ではなく、当時の人々の思想や美意識、そして人生観です。
稽古とは、身体だけで行うものではありません。書を読み、文字の向こうにある声を聞き、時代を越えて先人と心を通わせることもまた、稽古の一環なのです。
知を持って形に臨むとき、私たちの動きはより深く、豊かになります。
工夫ではなく、古への回帰


現代は創意工夫が尊ばれる時代です。しかし、こと武術の稽古においては、自己流の工夫はむしろ害となることがあります。なぜなら、それは「古を稽える」という本義から外れてしまうからです。
大切なのは、自分を出すことではなく、自分を消して古に帰ること。わからないまま繰り返すのではなく、わかろうとし続けながら、正しく形をなぞる。そうしているうちに、あるとき突然、「教え」が内側から響くように見えてくる瞬間があります。
私たちは、その一瞬のために、稽古を重ねるのです。
稽古は己を整える道


稽古とは、技の習得ではありません。それは「己を整える道」です。過去に耳を傾け、自分という存在を歴史の流れの中に置きなおす。そのプロセスを通じて、私たちは自らを知り、鍛え、高めていくのです。
武の道は、己と向き合う道。先人に敬意を払い、古を稽える心を持ち続けることが、私たちの稽古における原点です。
この道を志す者として、ただ形をなぞるのではなく、その奥にある「問い」に触れること。
それこそが、本当の意味での稽古であると、私たちは信じています。












