無外流の流祖 辻月丹から始まり、多くの武士が無外流を習得し、江戸だけではなく、主に姫路藩と土佐藩に伝承されました。残念なことに、江戸および土佐の無外流は失伝し現在全国で稽古されている無外流は姫路藩の流れを汲む無外流となります。
中興の祖 中川士龍先生を経て、無外流は現代に受け継がれております。
劔和會では会長である山田畔舟先生が塩川寶祥先生に師事して免許皆伝を受けられ、さらに研鑽するために小西御佐一先生に師事して免許皆伝を受けられました。現在は、東京および大分に道場を設け、受け継いだままの無外流居合を継承しております。
初 代 | 辻 月丹 資茂 | 1648年~1727年、江戸 |
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第二代 | 辻 右平太 | ~1742年、江戸 月丹の甥 |
第三代 | 都治 記摩多 資英 | ~1761年、江戸 月丹の養子の資英 |
第四代 | 都治 文左エ門 資賢 | ~1787年、江戸 |
第五代 | 都治 記摩多 資幸 | ~1812年、江戸 |
第六代 | 高橋 八助 充亮 | 1750年~1809年、姫路藩 |
第七代 | 高橋 達蔵 充玄 | 1784年~1835年、姫路藩 |
第八代 | 高橋 八助 成行 | 1816年~1880年、姫路藩 |
第九代 | 高橋 哲夫 武成 | 1830年~1876年、姫路藩 |
第十代 | 高橋 赳太郎 高運 | 1859年~1940年、大日本武徳会 |
第十一代 | 中川 士龍 申一 | ~1981年、居合道連盟 |
継承者略歴
高橋 赳太郎 高運
高橋家は代々酒井家に仕えて剣道の指南役であった。高橋赳太郎は高橋家九代の哲夫武成の長子として、安政6年7月2日に生まれる。幼い頃より、父の武成に就いて無外流の剣術及び居合を学んだ。明治13年22歳で大阪西長堀警察署の県道師範となり、同16年に神戸警察署に転任、明治20年29歳の時東京に出て警視庁に奉職し、上田馬之助、逸見宗助、梶川義正に就いて修行、又無刀流の山岡鉄舟の春風館でも技を闘し、高野佐三郎、川崎善三郎と共に、警視庁の三三郎と称せられて部名がたかった。1年で再び神戸に戻り、警察署で指導する傍ら、知進館を設立して後進を導いた。明治・大正・昭和の間に、天覧台覧の試合に出場すること十数度に及んでいる。剣技は、剣先の鋭さと足さばきの鮮やかなことは定評があった。
昭和15年の夏ごろから身体に不自由な様子で、十月の中ごろから急変し、21日に81歳で長逝された。
中川 士竜 申一
著書
- 無外全書
- 高橋先生八十年史
- 無外流居合兵道解説
- 無外真傳兵道考
塩川 寶祥 照成
昭和元年山口県下関市に生まれる。昭和28年下関市で空手同士会を結成。糸東流空手、無外流居合、神道夢想流杖道を始め、多くの武術を修められた。居合は、中川士竜先生、石井悟月先生から教わり、昭和36年高野山にて中川士竜先生から無外流免許を伝授される。武道を通して世界に通る強い日本人を育て、次世代を担う青少年を育成することを目的として、空手道、居合道、杖道を極める。
- 無外流居合兵道 宗家
- 神道夢想流杖道 九段
- 塩川派糸東流空手 宗家
【参考】
- 『無外流居合兵道開設』中川申一 著