2019年初の坐禅会では、「無縄自縛」という言葉を教わった。人は、一般社会で暮らしているとルールや人間関係などで、いつのまにか見えない縄で縛られているらしい。
自分自身の行動を見直して自分に縛られた縄についてよく考えてみると、表面的には法律、ルール、人間関係、地位、過去の自分の行動だったりするが、縄の根源は全てが欲であるように思う。
今と比べ昔は目に見えない縄は少なくストレスも少なかったように思うが、無縄自縛という言葉が古くからあったということは、昔の人たちもストレスはあったんだろう。
ご住職は、一般社会において全て解き放つことは難しいが、時には縄を解いてみるのもいいのではとおっしゃった。
簡単に解くことはできないかもしれないが、まずは自分にかけられた縄の存在を感じることで状態を知ることができる。
自分にかけられた縄の根源的な欲を感じて、これを断ち切るようにして居合を抜くと欲がすっと消える感覚もあり、一つの心の鍛え方かとも感じた。
文責 塩崎雅友








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