先日の法話は禅語ではありませんでしたが、禅に関する言葉を紹介いただきました。
面白がって平気に生きる
先日亡くなった樹木希林さんが生前おっしゃった言葉を紹介いただきました。
「おごらず、人と比べず、面白がって平気に生きればいい」
樹木希林
ご住職は、この『平気』という言葉に着目されました。
普段、何気なく当たり前のように使っている言葉ですが、「平気」を辞書で調べてみると以下のように書かれています。
平気とは
物事に驚き騒がず、いつもの心でいること。威圧や困難を何とも思わないこと。落ち着いておだやかな気持。心が他から乱されずにいる状態。
心を動かす元凶は欲や恐怖といった外的要因が大きいのですが、武術はもちろん、普段の仕事や生活などでも心を平らかに保つことで、不意に何かが起こったとしても落ち着いて対処できるのでしょうし、周りに振り回されることも無くなるでしょう。
その方法として樹木希林さんの言う、平気を保つためのアプローチとして面白がるのは新しく感じました。いざ、やってみると心に余裕ができるように感じます。
樹木希林さんの素朴なお人柄などはテレビ番組を見ていても伝わりますし、マネージメント会社に所属せずご自身のことは全て自分で処理していたそうです。いやな依頼や、メディアの誹謗中傷などあったとしても、面白がって対処されていんだと思いました。
この樹木希林さんの言葉は、正岡子規の言葉からきているのではないかとおっしゃっていました。
「禅とは平気で死ぬことと思っていたら、平気で生きることであった」
正岡子規 『病牀六尺』より
正岡子規は、結核を長年患い死の直前にこのような言葉を残したそうです。
死と隣り合わせの日々の中で宗教観と死を重ね合わせていたのでしょうか。宗教の本質は、生き方を導く理りである一例でしょう。
武術における心の持ち方
武術でも、心の持ち方については「平常心」「不動心」といった言葉がありますが、心は意識する前に勝手に動いてしまい、その心の動きに惑わされます。
樹木希林さんの「面白がって平気に生きればいい」というアプローチや、正岡子規の「平気に生きる」という言葉は、とてつもない苦難に立ち向かい、ある時、感じられたことなのでしょう。
いろいろな事象に対して、ついつい心が動いてしまうことに面白がるのは何とも自身に厳しくもおおらかな方だと感じました。
稽古においても、自分ができないことに固執したりすると色々と気になり、思うように動けなくなり、さらなイライラしてしまうと、よけい深みにはまってしまうものです。
無外流居合の百足伝に、以下の詩が伝わっています。
心こそ敵と思いてすり磨け 心の外に敵はあらじな
体は、心の変化によって変わります。
怖いと思えば先に動いてしまい負けてしまう。切れたと思って切れてなければ身動きが取れず次は自分が切られるというように、心が体から離れて先に動いてしまうと死に体になってしまいます。
居合では、切るという気持ちが前のめりとなり体が崩れ、大して切ることもできず、いついてしまい次の動きも遅くなります。
杖術では、太刀が怖いという気持ちが体を先に動かし技もかからなくなります。
このように、人の動きは心に左右されることが多々あります。
師匠からは、「稽古は実践のように、実戦は稽古のように」と言われます。丁寧な稽古も大切ですが、いろんな状況を想定しながらも己の心が敵と思い稽古に臨むのも必要でしょう。
坐禅会のご案内
辻月旦が参禅した吸江寺では、今も坐禅会を行っております。皆さんも、禅に触れてみませんか。
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文責 塩崎雅友
塩崎 雅友
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