無外流 流祖 辻月丹が幼少の時代にどういう環境で育ち、どういう稽古をしていたのかを感じてみたく生誕の地である滋賀県甲賀市の馬杉村を訪ねた。
生誕の地 馬杉村
辻伊賀守を祖先とし、辻金十郎、辻 惣兵衛、辻内蔵、辻太郎左衛門を経て辻弥太郎となり、辻太夫を父とし、その次男として慶安2年近江国甲賀郡宮村字馬杉において辻月丹は産声を上げた。
馬杉村は近江と伊賀の国境の山村で、ほとんどが農家で、鎮守の森を中心にして家が点在している。
今でも日本の農村地帯の原風景が残っており、辻月丹が幼少の頃に過ごした頃の空気をそのまま感じられるようだ。
今となっては、地元の人は無外流も辻月丹も知られておらず史料も残っていない。
油日神社
辻月丹が生まれた馬杉村に、小さな神社がある。流祖はここの氏子だったと思われる。
主祭神は天忍日命(あめのおしひこのみこと)。大伴氏の遠祖とされ、天孫瓊瓊杵(ににぎ)降臨の際に先導したとされる神である。
参道石段の途中、社殿に向かって右手の斜面に、大杉が立っている。馬杉(ますぎ)の地名は、聖徳太子がこの地を平定した際、乗馬をスギの木に繋いだことから名付けられたとする伝承がある。
正徳3年6月、辻月丹が65歳のときに寄進した石灯籠が残っていると言われる。油日神社の伝承によると、辻月丹が寄進した理由は「武運成就の嘉儀(がぎ)」となっている。
※油日駅の油日神社(あぶらひじんじゃ)と間違えやすいので要注意。
住所:滋賀県甲賀市甲南町上馬杉1461番
辻月丹 生誕の地の石碑
鳥居の脇に、石井悟月先生が寄進した辻月丹生誕の碑がある。石碑には「劔聖 辻月資茂生誕之地」と文字が彫込まれており、昭和43年6月23日に建てられた。
福竜寺
正徳3年6月、辻月丹が65歳のときに寄進した石灯籠が残っている。伝承によると、辻月丹が寄進した理由は「武運成就の嘉儀(がぎ)」と言われている。
辻月旦自ら寄進された灯篭があり、それだけでなく百巻の阿弥陀心経の巻物も現存しているという。
宗派 | 浄土宗 |
住所 | 滋賀県甲賀市甲南町下馬杉762 |
電話 | 0748-86-4548 |
油日岳
馬杉村から八キロほど東方に油日岳が屹立している。標高694mで辻月丹が十八歳の時に登山をして心胆を練った場所である。
洛北 愛宕山・愛宕神社
愛宕山は、京都府京都市右京区の北西部、山城国と丹波国の国境にある山である。京都市街を取り巻く山の中で、比叡山と並びよく目立っており、信仰の山としても知られる。
辻月丹が23歳のとき、兵法成就祈願のため愛宕山に参篭し、滝に打たれ山中で刀を振り、七日間絶食して祈願をした。
愛宕神社
所在地 | 京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1 |
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URL | http://kyoto-atago.jp |
参考
- 無外真傳兵道考(中川士龍)
取材
2015年12月10日
塩崎 雅友
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