居合とは

剣術と居合の違い

日本刀を使った武術は剣術と居合に大別されます。剣術は刀を抜いた状態での立ち合いとなり、日本刀を鞘に収めた状態で帯刀し、不意な相手の攻撃に応じて鞘から抜き打ち攻撃をしたり、相手の攻撃を捌いて攻撃をする武術である。藁を切ったりすることが居合術と考えられがちですが、本来は古くから伝わる居合の流派があり、各流派はそれぞれに形があり繰り返し稽古することで体を練ります。

居合の歴史

居合の祖 林崎甚助

居合は、古くから各流派で稽古されているが、戦国時代から江戸時代初期の武術家、林崎甚助が居合の祖であると言われている。
林崎甚助は、父の敵を討つため、家伝の三尺二寸三分大太刀を帯刀し、日々、抜刀の稽古をした。満願の暁、夢中に林の明神が示現し、抜刀の秘術卍抜を授けられ、19歳で父の敵討ちを果たした。仇討ちの帰途、林崎明神に太刀を奉納し、現在では林崎甚助も祀られて林崎居合神社と呼ばれている。後に武者修行の旅に出、鹿島の塚原卜傳より秘伝を授かり神夢想林崎流を興す。

神夢想林崎流の居合を学んだ他流の流祖

現代にも継承されている居合の流派を興した先人たちも林崎流を学んでいる。
田宮重正(田宮流)、関口氏心(関口新心流)、片山久安(片山伯耆流)は林崎甚助のから直接居合を学び、無双直伝英信流の長谷川英信、水鴎流の流祖である三間与一左衛門景延などは、林崎流の居合を学び流派を興した。

上記の流派をはじめ、江戸時代には多くの居合の流派ができた。劔和會で継承している無外流もその一つだが、もともとは自鏡流であった。新田宮流の流れを汲む自鏡流は多賀権内盛政が興した流派で、継承者がいなくなり無外流の継承者が継承するようになりいつからか無外流居合と言われるようになった。昭和になり中川士龍先生により20本の無外流居合にまとめられた。

以外な居合の達人

福沢諭吉

福沢諭吉は、中津藩の下級武士の家に生まれ、幼少より文武に優れており、武術は一刀流や立身新流の居合を習得した。晩年まで毎日居合の稽古をしていたと言われている。

井伊直弼

彦根藩主だった井伊直弼は、幼少の頃より茶、禅、武術を学んでいた。武術は新心流の居合を学び、自身でも新心新流を興した。桜田門外の変で暗殺された。武術に長けていた井伊直弼が居合の人たちも浴びせることなく暗殺されたことは、火ぶたを切った鉄砲の球が当たったとか、藩主として刀を抜くことが恥であり「保剣」の心構えからとするなど諸説ある。

居合に関連したスポット

林崎居合神社

山形県にある林崎甚助が祀られている神社。

場所:山形県村山市大字林崎85

林崎居合神社

香取神宮

香取神宮

日本書紀にも登場する武神の経津主大神(ふつぬしのおおかみ)が祀られており、数ある流派の中でも三大下流の一つと言われる香取神道流が継承された地でもある。

香取神道流は、剣術、居合、棒術、薙刀術など、数多くの伝承されている。

鹿島神宮

鹿島神宮

居合を始める

居合の稽古で使う道具

流派によって異なりますが、本来、居合の稽古は真剣を使って稽古をすると言われます。刃を引いた刀を用いて稽古をする場合もあります。
劔和會では、初心者の頃は刃のついていない模擬刀を用い、技術が備わってきた段階から真剣で居合の稽古をするようになる人たちもいます。居合で使う刀は、流派によって推奨されている長さや形が異なりますので、必ず、責任者に相談のうえ入手するようにしてください。劔和會で学べる無外流居合は、おおむね2尺3寸から2尺3寸5分が多く使われますが、身長によっても異なりますので事前にご相談ください。

稽古着

居合は、ほとんどの流派が一人で形を繰り返し稽古するので、剣道で使用する刺子の胴着とは異なり、薄手のテトロンや綿でできた胴着を使用される方が多いようです。劔和會では、指定の稽古着などはなく、杖も稽古しているため刺子の稽古着や薄手の稽古着など自由に選んでいただいております。

流派を選ぶ

どのような居合の流派であっても、古くから伝わる技術であります。
中には、正しく師匠から継承せず、勝手に流派を名乗っている方々もいますので、ご注意ください。

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