小西御佐一先生は、空手をはじめ、無外流居合、神道夢想流杖術など数多くの武術を修め、生涯を武術の修行と普及に捧げられた武術家です。
無外流居合では、中川申一先生より免許皆伝を允可された数少ない高弟の一人であり、後に第十六代宗家として流派を継承されました。また、神道夢想流杖術においても免許皆伝を受け、全日本杖道連盟会長として長年にわたり流派の普及と後進の育成に尽力されました。
武術に対する姿勢は一切の妥協を許さず、門人への指導も非常に厳格でした。しかしその厳しさは、技術だけでなく武術の本質を正しく伝えたいという深い愛情から生まれたものでもありました。
義を重んじ、人を大切にし、流派の未来を常に考え続けた小西御佐一先生。その歩みは、日本の伝統武術を語る上で欠かすことのできない存在です。
武芸十八般を修めた武術家

小西御佐一先生は、昭和8年(1933年)1月30日、兵庫県姫路市四郷町に生まれました。
終戦の年である昭和21年(1946年)、十三歳で旧制中学に入学した春、明石市太寺の空手同好会「練流」へ入門し、後の糸東流覚心館初代宗家・揖保宗明先生に師事します。
その後、昭和28年(1953年)、二十歳で自身の道場「拳正館」を創設。二十代のうちに姫路空手協会会長を務めるなど、空手家として早くから頭角を現しました。
しかし、小西先生が追い求めたのは一つの武術だけではありません。空手をはじめ、無外流居合、神道夢想流杖術など、多くの武術を学び、その修行を生涯にわたって続けられました。無外流居合では第十六代宗家として流派を継承し、神道夢想流杖術では全日本杖道連盟会長として普及活動に尽力されました。
また、姫路市体育協会副会長、兵庫県体育協会理事として地域スポーツや青少年育成にも長年携わり、国民体育大会にも兵庫県役員として十大会近く参加されています。
武術とは単なる技術ではなく、人を育て、文化を未来へ伝えるものである。小西先生は、そのことを自らの生涯を通して実践された武術家でした。
塩川照成先生との運命的な出会い
昭和33年(1958年)、二十五歳の春。小西御佐一先生は、空手の組織拡大の相談をするため、山口県下関市の塩川照成先生を訪ねました。
そこで小西先生は驚かれたことでしょう。塩川先生の道場には「拳聖館」の看板が掲げられていました。小西先生が姫路で開いていた道場は「拳正館」。読みは同じ「けんせいかん」でありながら、文字だけが異なっていたのです。この偶然は、二人の武縁を象徴する出来事として今も語り継がれています。
塩川先生は、一目で古武士のような小西先生の技量と肚を見抜き、その相談を快く受け入れられました。そして小西先生は塩川先生に師事し、無外流居合と神道夢想流杖術を学ぶようになります。
若い頃の小西先生は、姫路と下関を幾度も往復し、その多くの時間を稽古に費やしました。武術を極めたい。ただその一心で、家にいる暇もないほど稽古に邁進していたといいます。
後年、小西先生は多くの門人を育てられましたが、その揺るぎない技術の礎は、この時代の厳しい修行によって築かれたものだったのでしょう。この出会いが、小西御佐一先生の人生を大きく変え、日本の武術史にも大きな足跡を残すこととなります。
無外眞伝無外流居合兵道 第十一代宗家 中川申一先生へ直接師事

昭和43年(1968年)、小西御佐一先生が三十五歳の時、武術家としての人生を大きく左右する出来事がありました。
長年ご指導を受けていた塩川照成先生から、「ここから先は、自分の居合の師である無外流十一代宗家・中川申一先生へ直接師事するように」と命じられたのです。当時、中川申一先生は兵庫県芦屋市に住まわれており、すでにご高齢でした。塩川先生は、小西先生に中川先生のお世話も兼ねて修行するよう託します。
それは単に師を紹介するということではなかったはずです。姫路伝の無外流を母体として再興された無外流居合の正統は、姫路の小西先生こそが継がねばならないという、塩川先生の強い計らいだったに違いありません。
こうして小西先生は、中川申一先生の直門となりました。中川先生は当時七十三歳。小西先生は、中川先生の晩年を最も近くで支えながら、その教えを直接受け継ぐこととなります。中川先生もまた、姫路の拳正館にたびたび足を運ばれました。
また、小西先生の影響を受け、空手の師である揖保宗明先生も無外流の修行を始め、覚心館には居合道部が設けられました。後年、揖保先生が遺された武道観には、無外流の精神が色濃く息づいています。
六名だけに許された免許皆伝
昭和54年(1979年)6月23日、小西御佐一先生(当時四十六歳)は、中川申一先生より無外流居合の免許皆伝を允可されました。
中川先生から免許皆伝を授かった弟子は、小西先生を含めてわずか六名。その一人に数えられたことは、小西先生が長年にわたり積み重ねてきた修行と、師から寄せられた絶大な信頼の証でもありました。
武術とは形だけでは伝わりません。師と寝食を共にし、その生き方に触れることで初めて受け継がれるものがあります。小西先生が受け継いだのは、技術だけではなく、武術家としての心構えそのものだったのではないでしょうか。
無外眞伝無外流居合兵道 第十六代宗家を継承

昭和56年(1981年)、中川申一先生は次代の宗家を指名されないまま逝去されました。そのため免許皆伝を授かった六名の高弟が順に宗家を継承することとなり、平成13年(2001年)3月28日、小西御佐一先生(六十八歳)が無外流居合の正統・第十六代宗家を継承されました。
中川先生より受け継がれた無外流の正統は、還るべくして姫路へ還ったのです。
宗家継承後も、小西先生は流派の普及と文化的価値の保存に尽力されました。無外流連合会(後の全国無外流連合会)を発足し、長年会長を務めるとともに、多くの門人を育成。また、流派や形について詳しくまとめた『無外流居合兵道指針』を出版し、後世へ正しく伝承するための礎を築かれました。
神道夢想流杖道の修行
小西御佐一先生は、塩川照成先生から無外流居合だけでなく、神道夢想流杖術においても深い修行を積まれました。
乙藤市蔵先生のもとでの修行
乙藤先生から直接ご指導いただける貴重な講習会があり、小西先生は参加するために福岡まで足を運んでいました。講習会では乙藤先生が太刀を持ち、参加者が一人ずつ呼ばれて形を指定されます。指定された形を知らなければ、指導を受けることなくその場で下がらされるという、非常に厳しいものでした。
実際に小西先生も、一本目から教わっていない形を指定され、一度も指導を受けることなく下がらされたことがあったといいます。その厳しさから、乙藤先生がいかに妥協を許さない指導者であったかがうかがえます。
しかし小西先生は、悔しさを胸に抱きながらも他の参加者と並んだまま、乙藤先生の動きを一瞬たりとも見逃すまいと見取り稽古に集中されました。当時は稽古中にメモを取ることは許されず、すべてを目と身体で覚え、後に反復して身につけるしかなかったといいます。
こうした厳しい環境の中での積み重ねが、小西先生の技と精神をさらに磨き上げていったのでしょう。今日私たちが正しい杖術の稽古に励むことができているのは、こうした先生方の厳しいご指導と、それに応えようとした小西先生の不断の努力があったからこそだと、深い感謝の念を抱かずにはいられません。
免許皆伝の授与
昭和60年(1985年)11月、五十二歳の時、乙藤市蔵先生より神道夢想流杖術の免許皆伝を允可されます。しかし、この免許には小西先生らしい一つの逸話があります。
免許状は、塩川先生の計らいで乙藤先生のお名前で授与されました。講習会などで乙藤先生から直接ご指導を受ける機会はあったものの、長年にわたり日々の稽古を指導してくださったのは塩川先生でした。そのご恩と義を生涯忘れることなく、小西先生は免許に記された系譜へ後から塩川先生のお名前を書き加え、落款を押されたと伝えられています。そこには、形式だけではなく人としての義を何よりも重んじる小西先生のお人柄が表れています。
同じ昭和60年、解散していた全日本杖道連盟が再発足した際には、塩川照成先生と小西御佐一先生が並んで副会長に就任されました。その後、小西先生は会長として神道夢想流杖術の普及にも尽力され、居合と杖術の両流派を後世へ伝えることに生涯を捧げられました。
拳正館 ― 生涯をかけて守り続けた道場

小西御佐一先生が創設された「拳正館」は、単なる稽古場ではありませんでした。そこは、小西先生が毎日稽古を積み、多くの門人を育て、日本の伝統武術を後世へ伝えてきた場所です。
道場の看板は、無外流居合中興の祖であり、小西先生の師でもある中川申一先生が揮毫されたものです。その看板には、師から弟子へと受け継がれた信頼と歴史が刻まれています。
晩年になっても、小西先生は毎日のように道場へ立ち、門人とともに稽古を続けられました。武術は年齢を重ねたから終わるものではない。生涯をかけて修行を続けるもの。その姿を、自らの生き方で示されていました。
現在も拳正館には、小西先生が最後まで身につけられていた稽古着が静かに掛けられています。その稽古着を見ると、今にも小西先生が現れ、「さあ、稽古を始めよう」とおっしゃるような、不思議な空気が今なお残っています。






小西御佐一先生の矜持
技を極めるだけでなく、名を継ぐこと、義を通すこと、一切の妥協を許さないこと。小西御佐一先生の武術家としての姿勢には、いくつもの一貫したこだわりがありました。ここでは、その人となりを物語る三つの側面をご紹介します。
武号「龍翁」に込められた想い
小西御佐一先生の武号は「龍翁」といいます。この号は、もともと無外流居合第十一代宗家・中川申一先生が晩年に名乗られていた武号でした。
それ以前、小西先生は「天龍」という武号を用いておられました。しかし第十六代宗家を継承する際、正統の証として中川夫人の許しを得て、正式に「二代目龍翁」を襲名されます。
単なる名前の継承ではありません。そこには、正統を受け継ぐ者としての責任と覚悟が込められていました。武号とは、武術家として歩んできた人生そのものを表すものでもあります。龍翁という名は、小西先生が中川先生から受け継いだ教えと、その精神を後世へ伝えていく決意の証でもあったのでしょう。
義を何よりも重んじた先生
小西御佐一先生のお人柄を一言で表すなら、「義を重んじる方」でした。自分の利益よりも流派の未来を考える。個人の感情よりも組織全体の調和を大切にする。そのような生き方を、生涯貫かれました。
神道夢想流杖術の免許に、後から塩川照成先生のお名前を書き加えられた逸話も、その象徴といえるでしょう。形式だけを重んじるのではなく、自分を育ててくださった恩師への感謝を忘れない。その姿勢は、多くの門人に強い印象を残しています。
一切妥協を許さない厳しい稽古
小西御佐一先生の稽古は、とても厳しいことで知られていました。山田宏先生も「刀の位置が一センチ違うだけでも直された」と話されています。
わずかな違いも見逃さず、一つひとつ丁寧に修正していく。そこには、「正しい形を後世へ伝える」という小西先生の強い責任感がありました。しかし、その厳しさは決して弟子を責めるためのものではありません。形を正しく伝えることが流派を守ることにつながる。だからこそ、小さな妥協もしなかったのです。
演武における眼光の鋭さもまた、多くの人の記憶に残っています。抜き打ちで放たれる鋒の鋭さに、思わず息をのんだという証言が今も語り継がれています。
厳しさとは、恐怖を与えることではありません。自らが積み重ねてきた修行を、一切妥協することなく次代へ伝えようとする責任。小西御佐一先生の稽古には、その覚悟が常に表れていました。
小西先生とのエピソード
演武は自己表現
小西御佐一先生の言葉の中で、今も語り継がれているものがあります。
ある大会の開会式で、小西先生は演武についてこう語られました。「富士山を描くにも、赤富士があり、逆さ富士があり、人それぞれ表現があります。演武も同じです。自分らしい表現をしてください」
演武とは形を間違えずに行うことだと思われがちですが、この言葉は、演武とはその人の心が表れるものなのだと気づかせてくれます。同じ形であっても、どのような心で稽古を積み、どのような気持ちで刀を抜くのか。その違いが演武に表れる。小西先生のこの教えは、今も多くの門人の稽古の指針となっています。
ご家族が語る小西御佐一先生
小西先生は、ご家族との時間も大切にされていました。
毎年、新緑の季節になると、ご家族で蒜山を訪れることを楽しみにされていたそうです。
また、若い頃は煙草とお酒を嗜まれていましたが、六十三歳で心筋梗塞を患われると、長年続けていたその習慣をきっぱりと断たれました。
その後も心筋梗塞を経験されましたが、それでも武術への情熱が衰えることはありませんでした。
ご家族は、「身体をもっと大切にしてほしい。」という思いもあったそうです。
しかし、小西先生にとって武術とは、生きる喜びそのものだったのでしょう。
ご家族のお話からは、厳しい武術家である一方、人として温かい小西先生のお姿が伝わってきます。
私が出会った小西御佐一先生
私が初めて小西先生をお見かけしたのは、無外流居合の大会でした。全国大会を主催される立場でもあり、私にとっては雲の上の存在の先生でした。演武を拝見した時のことは、今でも忘れられません。鋭い眼光。そして抜き打ちで放たれた鋒の鋭さに、思わず息をのんだことを覚えています。
直接ご指導いただいた機会は数回でしたが、毎回、道場には張り詰めた空気が流れていました。しかし、その厳しさの中にも、武術を正しく伝えたいという先生のお気持ちが感じられました。
私にとって忘れることのできない出来事があります。私が山田宏先生より無外流の免許皆伝を拝受した際、小西先生が介添人を務めてくださいました。会場の準備から儀式の進め方まで、一つひとつ丁寧に教えてくださり、内伝も授けてくださいました。儀式が終わった直会の席で、小西先生が「これで、関東にも正しい無外流が残る」とおっしゃってくださったことは、私の生涯の宝です。

すべての儀式が終わり、直会の席で小西先生は静かにこうおっしゃいました。
「これで、関東にも正しい無外流が残る。」
その一言は、今でも私の胸に深く刻まれています。
私にとって、生涯忘れることのできない宝物です。
また、無外流居合や神道夢想流杖術の大会では、懇親会の席などで、小西先生ご自身の武道にまつわるお話を聞かせてくださいました。厳しい修行の日々の中にも、恩師への義を忘れず、演武に自らの心を真摯に表す、そうした先生のお人柄に触れるたび、武術とは技だけでなく生き方そのものなのだと教えられました。
小西御佐一先生から受け継ぐもの
小西御佐一先生は、数多くの武術を修め、多くの門人を育てられました。しかし、小西先生が本当に残されたものは、技だけではありません。
義を重んじる心。師への敬意。妥協を許さない姿勢。そして、正しいものを次代へ伝えようとする責任。その教えは、今も多くの門人へ受け継がれています。
私自身も、小西先生からいただいた教えと言葉を胸に刻み、山田宏先生から受け継いだ無外流居合と神道夢想流杖術を、これからも正しく後世へ伝えていきたいと思います。それが、小西御佐一先生への何よりの恩返しになると信じています。
プロフィール
極めた武術
- 無外眞傳無外流居合兵道 免許皆伝・第十六代宗家
- 神道夢想流杖術 免許皆伝
- 糸東流空手
略歴
| 昭和8年(1933年)1月30日 | 兵庫県姫路市四郷町に生まれる。 |
| 昭和21年(1941年)13歳 | 旧制中学に入学した終戦の年の春、明石市太寺の空手同好会(練流)に入門。後の糸東流覚心館 揖保宗明初代宗家に師事する。 |
| 昭和28年(1953年)20歳 | 拳正館を創立 |
| 昭和33年(1958年)25歳 | 塩川照成先生に無外眞伝無外流居合兵道および神道夢想流杖術を師事 |
| 昭和43年(1968年)35歳 | 無外眞伝無外流居合兵道の第十一代宗家 中川士龍先生に直接師事し指導を受ける |
| 昭和54年(1979年)6月23日 46歳 | 中川士龍先生から、無外眞伝無外流居合兵道 免許皆伝を允可される |
| 昭和60年(1985年)11月 52歳 | 乙藤市蔵先生から、神道夢想流杖術の免許皆伝を允可される。 解散していた全日本杖道連盟が、同年に再発足した際には、塩川と小西が並んで副会長に就任した。 |
| 平成13年(2001年)3月28日 68歳 | 無外眞伝無外流居合兵道 第十六代宗家を継承。 無外真伝無外流居合兵道の流派及び形の解説をされた『無外流居合兵道指針』を出版した。 |
| 令和7年(2025年)5月21日 92歳 | 逝去(法名:釋法順) |
参考
- 月間秘伝 2017年1月号
















