
語釈
性(さが)を張る人
生まれつきの気性・意地を、頑なに押し通そうとする人物。気の強い、好戦的な人物を指す。
前方に(ぜんぽうに)
目の前に、正面に。
物あらそひ(ものあらそい)
争い事。言い争いや、取っ組み合いなど、広く争うこと全般を指す。
せぬが剣術
争わないことこそが、剣術というものである。
直訳
意地を頑なに押し通そうとする人物だと見て取ったならば、目の前に(そうした人物が現れても)、争いを起こさないことこそが、剣術というものである。
現代語訳
気性が荒く、意地を押し通そうとする人物だと見抜いたならば、たとえその人物が目の前に現れたとしても、争いを起こさずに済ませること。それこそが、剣術というものです。
解説
この歌は、剣術の本質を、相手を打ち負かす技術としてではなく、争いを未然に避ける判断力と胆力として定義しています。
「性を張る人」とは、自分の意地や気性を、頑なに押し通そうとする、気の強い人物を指します。そうした人物が目の前に現れたとき、剣を交え、力で決着をつけることは、一見すると剣術らしい振る舞いのように思えます。しかし、この歌は、その正反対のことを説いています。相手の気性を見抜いた上で、あえて争いを起こさずに済ませること――それこそが、真の剣術なのだと言い切っているのです。
これは、第三十一首「心こそ敵と思ひてすり磨け 心の外に敵はあらじな」で見た教えと、深く通じています。真の敵は、目の前の気性の荒い相手そのものではなく、その相手に張り合い、争いに乗ってしまう、自分自身の心にあります。性を張る人物を前にしても、それに引きずられることなく、争わずに済ませる胆力こそが、剣を極めた者の証なのです。
私(塩崎関舟)の考え
剣術と聞くと、相手をいかに制するか、いかに勝つかという技術を思い浮かべる方も多いかもしれません。しかし、私は、本当に剣を極めた人物ほど、無用な争いを避ける知恵と胆力を持っていると感じています。
意地を張り、張り合ってくる相手に対して、同じように張り合ってしまえば、それはもはや剣術ではなく、単なる意地の張り合いに過ぎません。相手の気性を静かに見極め、あえて事を構えずに済ませる判断力こそが、長年の稽古によって培われる、本当の強さなのだと思います。
日々の生活に活かす
私たちの日常でも、意地を張り、対立を煽ってくる相手に出会うことがあります。そうした相手に、つい同じように意地を張って応じてしまうと、無用な争いに発展してしまうことも少なくありません。
相手の気性を冷静に見極め、あえて争わずに済ませる選択をすること。それは、決して弱さではなく、むしろ、真に成熟した強さの表れなのではないでしょうか。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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