
語釈
屈たく(くったく)
屈託。もどかしさ、行き詰まり、心が晴れずふさぎ込むこと。ここでは、稽古における上達の停滞から生じる心理を指す。
起る心(おこるこころ)
生じてくる心。
そは
それは。
剣術になる
真に剣術として完成する、大成に至る。
しるべし
知っておくべきである。
直訳
屈託の心が生じるのは、それを乗り越えることこそが、剣術になると知っておくべきである。
現代語訳
稽古において、もどかしさや行き詰まりを感じる屈託の心が生じることがあります。しかし、それを乗り越えてこそ、真の剣術として大成するのだと知っておくべきです。
解説
この歌は、稽古における上達の停滞期と、その乗り越え方について詠んでいます。
修行における上達は、常に一定の角度で右肩上がりに進むわけではありません。初めは急な角度で伸びていた技量も、やがて緩やかになり、時には全く進歩が実感できない、停滞した時期を迎えます。「屈たくの起る心」とは、まさにこうした停滞期に、修行者の心に生じる、もどかしさや行き詰まり感を指しています。
この歌の核心は、下の句「そは剣術になるとしるべし」にあります。屈託を感じたとき、そこで修行の歩みを止めてしまえば、それまで積み重ねてきたものも失われ、また一から修行をやり直すことになります。しかし、その屈託に負けず、歯を食いしばって修行を続けたならば、そこで初めて、真の意味での剣術の大成に至ることができるのです。つまりこの歌は、屈託という停滞期の到来をあらかじめ予告した上で、それを乗り越えることこそが上達への唯一の道であると、修行者を励ます歌だと言えます。
これは、第二十六首「雲霧は稽古の中の転変そ 上は常住すめる月日ぞ」とも、深く通じる教えです。26番は、稽古の中で経験する迷いや停滞を「雲霧」にたとえ、その奥に常住なる真理があると説きました。この34番は、その停滞をより具体的に、上達曲線の鈍化として描き、そこで諦めず踏みとどまることの重要性を説いています。
私(塩崎関舟)の考え
稽古を続けていると、思うように上達を感じられない時期が、誰にでも訪れます。最初は急速に伸びていた実感も、やがて緩やかになり、時には全く前進していないように感じられることさえあります。
そうした屈託を覚えたとき、そこで諦めてしまえば、それまでの積み重ねも、いったん失われてしまいます。しかし、その停滞をこそ、修行の一つの通過点と捉え、歯を食いしばって稽古を続けること。それができたとき、初めて、それまでとは違う次元の技量に至ることができるのだと思います。
屈託を感じることは、決して悪いことではありません。むしろ、それは、次の段階へ進むための、大切な分岐点なのだと捉えるべきなのでしょう。
日々の生活に活かす
私たちは、何かに取り組んでいる中で、成長が実感できず、もどかしさを感じる時期に、しばしば直面します。仕事でも学びでも、順調に伸びていた実感が、ある時から鈍化し、停滞しているように感じられることは、誰にでもあるでしょう。
しかしそうした停滞は、成長が止まったことを意味するのではなく、次の段階へ進むための、通過点であることが少なくありません。もどかしさを感じたときこそ、そこで歩みを止めず、もう一歩踏みとどまってみること。その先に、それまでとは違う景色が待っているのかもしれません。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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