
語釈
馴るるより(なるるより)
慣れることよりも。
習の大事(ならいのだいじ)
習うこと、理屈を学ぶことこそが大切であるということ。
数もつかへよ
数もこなしなさい。「も」は、数をこなすこと自体は否定しない、という含みを持つ。
理を責めて問へ(りをせめてとえ)
その道理を、徹底的に問い詰めなさい。「責めて」は、執拗に、厳しく問う様子を表す。
直訳
慣れることよりも、習うことが大事である。願うならば、数もこなしなさい。そして、道理を問い詰めなさい。
現代語訳
体で慣れることよりも、理屈として習うことの方が大切です。もちろん数をこなすことも大事ですが、それだけでなく、その道理を徹底的に問い詰めなさい。
解説
この歌は、直前の第三十二首「習より慣るるの大事願くは 数をつかふにしくことはなし」と、語順を反転させた、明確な対句をなしています。
32番は「習(理屈)」よりも「慣(反復)」を優先し、ひたすら数をこなすことを説きました。この33番は、逆に「慣(反復)」よりも「習(理屈)」を優先しつつも、「数もつかへよ」――数をこなすこと自体は否定せず、その上でさらに「理を責めて問へ」――なぜそうなるのか、その理屈を深く問い詰めよ、と説いています。
一見すると、この二首は正反対のことを言っているように見えます。しかし、これは矛盾ではなく、修行における「理」と「数」という、二つの重要な要素を、それぞれ異なる角度から強調していると考えられます。以前、第四首「幾千度闇路をたどる小車の 乗得てみれば輪のあらばこそ」で見たように、稽古には、理屈(理)と反復(数)という、いわば二つの車輪が必要です。32番が「数」という片方の輪を、33番が「理」というもう片方の輪を、それぞれ強調することで、二首を合わせて読んで初めて、両輪が揃った教えとして完成するのです。
「理を責めて問へ」という下の句にも、注目すべき強さがあります。「責める」は、単に問うという以上に、執拗に、徹底的に問い詰めるという語感を持ちます。数をこなすだけで満足せず、その反復の中で「なぜこの動きなのか」を、自らに厳しく問い続けよ、という、能動的な探求の姿勢が込められています。
私(塩崎関舟)の考え
数をこなすことの大切さは、前回お伝えした通りです。しかし、ただ機械的に数をこなすだけでは、本当の意味での上達には至りません。
一つひとつの動作を繰り返す中で、「なぜこの角度なのか」「なぜこの間合いなのか」と、常に自分自身に問い続けること。数をこなすことと、理を問い詰めること、その両方があって初めて、稽古は本当の意味で実を結ぶのだと思います。
前回の32番と、この33番は、一見矛盾しているように見えるかもしれません。しかし、私はこの二首を、車の両輪のように、常にセットで心がけるべき教えとして捉えています。
日々の生活に活かす
私たちは、物事に取り組む際、「とにかく数をこなす」派と、「まず理屈を理解してから」派に分かれることがあります。しかし、この二つは、本来対立するものではありません。
数をこなしながら、その一つひとつに「なぜ」を問い続けること。反復と探求、その両方を心がけることで、単なる作業の繰り返しが、真の意味での成長へとつながっていくのではないでしょうか。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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