
語釈
習より(ならうより)
教えを受け、頭で理解することよりも。
慣るるの大事(なるるのだいじ)
体で慣れ、自然と身につけることこそが大切であるということ。
願くは(ねがわくは)
願うことならば、望むならば。
数をつかふ(かずをつかう)
稽古の数、回数をこなすこと。
しくことはなし
及ぶものはない、勝るものはない。「しく」は「及ぶ」の意。
直訳
習うことよりも、慣れることが大事である。願うならば、数をこなすことに勝るものはない。
現代語訳
理屈として習うことよりも、体で慣れることの方が大切です。もし願うならば、ひたすら数をこなすことに勝るものはありません。
解説
この歌は、「習う」ことと「慣れる」ことを対比させ、後者の重要性を説いています。
「習う」とは、師から教えを受け、理屈や型を頭で理解することです。対して「慣れる」とは、体そのものが、繰り返しの中で自然とその動きを覚えていくことです。この歌は、理屈として習うことよりも、体に染み込ませるように慣れることの方が、より大切であると説いています。そして、その「慣れ」に至る唯一の道は、ひたすら数をこなすことである、と明確に言い切っています。
この教えは、第四首「幾千度闇路をたどる小車の 乗得てみれば輪のあらばこそ」とも、深く響き合います。理屈が先に理解を導くのではなく、反復そのものが、後になって理解を連れてくる――この32番歌は、その思想を、より直接的な言葉で言い表していると言えるでしょう。
なお、この歌は、直後に置かれた第三十三首「馴るるより習の大事 願くは数もつかへよ理を責めて問へ」と、語順を反転させた、極めて強い対句をなしています。32番が「習うより慣れよ」と説くのに対し、33番は「慣れるより習え」と、一見正反対のことを説いています。この二首がなぜ隣り合って置かれているのか、その意図については、次回、33番を扱う際に詳しく見ていきたいと思います。
私(塩崎関舟)の考え
数をこなすことによって、頭で考えていただけでは決して得られない、大きな発見があります。
劔和會では、「劔和クエスト」という取り組みを行っています。いくつかのコースに分かれ、素振りなどの基本動作を、一万回行うというものです。単調に思える反復ですが、実際に取り組んでみると、数百回を過ぎたあたりから、それまで意識していなかった体の使い方や、力の抜きどころに、ふと気づく瞬間が訪れます。これは、頭で理屈を組み立てているだけでは、決してたどり着けない気づきです。
「習うより慣るるの大事」とは、まさにこうした実感そのものだと思います。理屈を先に完璧に理解しようとするのではなく、まず数をこなす。その先にこそ、本当の理解が待っているのだと感じています。
日々の生活に活かす
私たちは、新しいことを始めるとき、つい理屈や方法論を、先に完璧に理解しようとしてしまいがちです。しかし、実際には、頭で理解する前に、まず数をこなしてみることで、初めて見えてくるものが数多くあります。
考えすぎて動けなくなるよりも、まず繰り返し取り組んでみること。その先に、理屈では得られなかった、確かな実感が待っているのではないでしょうか。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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