語釈
長短(ちょうたん)
物事の長所と短所、優劣。ここでは、技の巧拙や、他者・他流派との比較を指す。
論することをさて置て
議論することはひとまず置いておいて。
己が心の利剣(こころのりけん)
自らの心そのものを、鋭い剣に見立てた表現。煩悩や迷いを断ち切る、智慧としての剣。
不動明王や文殊菩薩が持っている。

斬れ
断ち切りなさい、という命令。
直訳
長所や短所を議論することはさておいて、自分自身の心という利剣で斬りなさい。
現代語訳
技の優劣や、他者との比較を議論することは、ひとまず置いておきなさい。それよりも、自分自身の心という鋭い剣によって、断ち切るべきものを斬りなさい。
解説
この歌に詠まれる「利剣」とは、外部の敵を斬るための得物としての剣ではありません。禅の伝統において、「利剣」は古くから、迷いや執着、煩悩を断ち切る智慧の象徴として用いられてきた言葉です。この歌の「己が心の利剣」もまた、その系譜に連なるものであり、斬るべき対象は、目の前の相手ではなく、自らの内にある迷いや悪だと考えられます。
「長短を論することをさて置て」という上の句にも、重要な意味があります。「長短」とは、技の巧拙や、他者・他流派との優劣比較を指します。こうした優劣を論じる次元にとどまっている限り、そこにあるのはあくまで相対的な比較でしかなく、真に斬るべき対象――己の内なる迷いそのもの――には至ることができません。これは、第十九首・第二十首で見た「強さを競うことからの離脱」というテーマとも通じる考え方です。
外の敵と技量を比べ、優劣を論じることをひとまず脇に置き、自らの心という剣を、内なる迷いに向けて振るうこと。この歌は、剣術における「斬る」という行為そのものを、自己の内面と向き合う修行として捉え直しているのです。
私(塩崎関舟)の考え
居合の稽古をするとき、私は、目の前に敵を想定するのではなく、その日一日の自分自身を振り返り、心の中にある悪――苛立ち、怠け心、驕りといったもの――を、あえて目の前に思い浮かべることを、稽古の一つに取り入れています。
抜刀し、目の前の空間を斬るその瞬間、斬っているのは架空の敵ではなく、自分自身の内にある、断ち切るべきものです。技の優劣を論じたり、他者と自分を比べたりすることに気を取られていては、この稽古はできません。ただ静かに、自分の一日を振り返り、そこにある迷いや弱さを、剣に込めて断ち切る。それこそが、この歌が説く「己が心の利剣にて斬れ」の、実践的な姿だと私は考えています。
日々の生活に活かす
私たちは、他人と自分を比較したり、優劣を論じたりすることに、多くの時間を費やしてしまいがちです。しかし、そうした比較に気を取られている間は、自分自身の内にある課題と、真に向き合うことができません。
他者との比較をひとまず脇に置き、自分自身の心を見つめ、断ち切るべき迷いや弱さに向き合うこと。それこそが、日々を確かに前進させるための、大切な姿勢なのだと思います。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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