語釈
兵法を使へば
兵法を実践するならば、実際に用いているならば。
心治まりて
心が乱れることなく、落ち着いている状態で。
未練(みれん)
過去のことに対する心残り、後悔。
露もなきもの
少しもない、というほどの強い否定。「露」は「わずか」を表す比喩。
直訳
兵法を用いるならば、心は治まっており、未練というものは、少しもないものである。
現代語訳
真に兵法を実践しているとき、心は乱れなく治まっており、そこには未練という心残りは、少しもないものです。
解説
この歌は、勝負の結果を受け入れる心構えというよりも、より根源的な状態を説いていると考えられます。
「兵法を使へば心治まりて」――ここで大切なのは、時制です。この一節は、勝負が終わった後の心境を述べているのではなく、兵法を実践している、まさにその瞬間の心の状態を指しています。つまり、真に兵法を体現できているときには、心はすでに治まっており、乱れが生じる余地がありません。
未練とは、多くの場合、過去への執着から生まれる感情です。「ああすればよかった」という後悔は、その瞬間瞬間において心が乱れ、迷いながら動いていたことの証でもあります。もし兵法を正しく使えているならば、一つひとつの動きにおいて心はすでに治まっているため、後になって未練が生じるような、乱れた心の使い方そのものをしていないことになります。
これは、第二十一首「立会はば思慮分別に離れつつ」で見た、心の波立ちを戒める教えとも通じています。心が治まっていることこそが、正しく技を発揮できていることの証であり、未練の有無は、その結果として自然に定まるものなのです。
私(塩崎関舟)の考え
未練が残るとき、それは多くの場合、心のどこかが乱れたまま動いていたことの表れだと、私は感じています。
立合いの最中、迷いや焦り、恐れといったものに心を乱されながら動いていれば、たとえ結果がどうであれ、後になって「あのときこうすればよかった」という思いが残ります。逆に、心が治まったまま、一つひとつの動きに向き合えていたのであれば、結果の如何にかかわらず、そこに未練が生まれる余地はありません。
だからこそ、結果を受け入れる強さを鍛えるというよりも、その瞬間瞬間において、心を治めて向き合うことこそが大切なのだと思います。
日々の生活に活かす
私たちは、物事が終わった後になって、あれこれと後悔することがあります。しかしその後悔の多くは、実は事が起きているその瞬間に、心が乱れたまま対応していたことに起因しているのかもしれません。
大切な場面ほど、事後に振り返って未練を残さないようにと意識するよりも、その瞬間瞬間に、心を落ち着けて向き合うこと。それこそが、後悔のない歩みにつながっていくのだと思います。
百足伝 全釈について
他の記事
『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
お気づきの点や異なるご見解、ご助言などがございましたら、ぜひメールにてお寄せください。
皆さまからいただいたご意見も大切な研究資料として参考にさせていただき、より正確で価値ある『百足伝 全釈』となるよう、これからも研究を重ねてまいります。























