語釈
我流(わがりゅう)
自分が身につけた、この流儀そのもの。16番と同じく「わがりゅう」と読む。
使ひて見れば
実際に用いてみると。
何もなく
特別なもの、秘密の技法などは何一つない、ということ。
ただ心して
ただ、心を込めて、注意深く。「心して」は、心を配る、注意を払うという意味の慣用的な言い回し。
勝つ道を知れ
勝利へと至る道を知りなさい、という命令。
直訳
我が流儀を実際に使ってみると、そこには特別な何かがあるわけではない。ただ心して、勝つ道を知りなさい。
現代語訳
自分が身につけた、この流儀を実際に使ってみると、そこには特別な秘密の技があるわけではありません。ただ、心を込めて向き合うことこそが、勝つための道だと知るべきです。
解説
この歌は、第十五首・第十六首と合わせて読むことで、その意味がより明確になります。
第十五首は、奥義が身近にありながら、近すぎるゆえに見失われてしまうことを説きました。第十六首は、流儀を実践する際には、常に心を伴わせるべきだと説きました。そしてこの第十七首は、実際にその流儀を使ってみると分かる、一つの結論を示しています――そこには「何もない」、つまり、外部に隠された特別な秘技などというものは、そもそも存在しないのです。
多くの修行者は、流儀を極めた先に、他とは違う何か特別な秘密の技法があるはずだと期待してしまいます。しかし、実際に使ってみて分かるのは、そこに複雑な秘密などはなく、あるのはただ「心して」――注意深く、心を込めて向き合う、という、極めてシンプルな在り方だけだということです。
奥義は近くにあって見えにくく(15番)、だからこそ常に心を伴わせ(16番)、実際に使ってみれば、特別なものなど何もなく、ただ心を込めることこそが道であったと知る(17番)。この三首は、一つの気づきを、段階を追って深めていく構成になっていると言えるでしょう。
私(塩崎関舟)の考え
稽古を重ねていく中で、私たちはつい、まだ知らない特別な技があるのではないか、と探してしまうことがあります。しかし、実際に稽古を積み重ねてみると分かるのは、勝敗を分けるのは複雑な秘技などではなく、いかに心を込めて、丁寧に向き合えるか、という極めてシンプルなことだということです。
華やかな技巧を追い求めるよりも、目の前の一挙手一投足に、どれだけ心を配れるか。その積み重ねこそが、結局のところ、最も確かな勝つ道なのだと感じています。
日々の生活に活かす
私たちは、成果を上げるために、何か特別な方法や近道があるはずだと考えてしまいがちです。しかし、実際に物事に向き合ってみると、大切なのは特別なテクニックではなく、一つひとつのことに心を込めて丁寧に取り組む姿勢であることに気づかされます。
派手な工夫を探す前に、目の前のことに、どれだけ心を配れているか。それを見つめ直すことが、遠回りのようで、実は一番確かな道なのかもしれません。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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