語釈
とにかくに
何はともあれ、ともかくも。他のことに先んじて、という強い促しを含む言葉。
本(もと)
物事の根本、基礎。ここでは、稽古における最も根幹となる基本(型・素振りなどの技術的基礎と、それを支える心構えの両方を含む)を指す。
勤めよ(つとめよ)
努め励め。動詞「勤む」の命令形。
末々(すえずえ)
基本から派生する、応用的な技や、複雑な状況への対応。物事の枝葉にあたる部分。
ついに治る
最終的には、自然と整っていく。「治る」は乱れなく収まる、秩序立つという意味。
直訳
何はともあれ、まず根本を努め励め。応用的なことは、最終的には自然と整っていくものだと知っておくべきである。
現代語訳
何よりもまず、稽古の根本に励みなさい。応用的な技や、複雑な状況への対応は、根本さえしっかりしていれば、最終的には自ずと整っていくものだと知っておくべきです。
解説
この歌が説く「本」とは、単なる技術的な基礎の型や素振りだけを指すのではなく、それを支える心構えをも含めた、稽古全体の根本を意味していると考えられます。無外流の教えが、心・技・体を分かちがたいものとして扱ってきたように、この歌の「本」もまた、心の鍛錬と動きの基本、その両方を包み込む、より根源的な稽古の土台を指していると読むのが自然です。
興味深いのは、この歌が百足伝の最後を飾る第四十首「一つより百まで数へ学びては もとの初心となりにけるかな」と、深く呼応している点です。40番は、一から百まで(初歩から奥義まで)を学び尽くした果てに、再び「もとの初心」へと立ち返る、という円環の構造を詠んでいます。この「初心」こそが、14番で言う「本」と同じものではないでしょうか。
修行を始めたばかりの頃、基本稽古は「まだ本格的な技ではない、単なる準備段階」として、つい軽んじられがちです。しかし40番が示すように、あらゆる技巧を学び尽くした果てに行き着く場所もまた、この同じ「本」なのです。「本」とは、単に時系列上、最初に習うことという意味に留まらず、修行が一巡した後になって初めて、その本当の重みが分かる、稽古の根本を指していると言えるでしょう。
「末々はついに治る」という下の句も、この構造の中で理解できます。技の応用や、複雑な状況への対応といった「末々」は、根本さえ確かであれば、自ずと整っていく。これは、第一首で見た「清水の末」――源から離れた下流――とも通じるイメージです。本(源)がしっかりしていれば、そこから離れた末(下流)もまた、自然と整っていくのです。
私(塩崎関舟)の考え
修行においては、自分なりの工夫も必要です。ある程度稽古を重ねてくると、こうすればもっと良くなるのではないか、と自分の考えを試してみたくなることもあるでしょう。
しかし、そうして工夫を重ね、少しずつ分かってくると、結局のところ、それは初めに教わっていたことそのものだった、と思い知らされることが、何度もあります。遠回りをして、ようやくたどり着いた先が、実は最初に示されていた場所だった、ということが少なくないのです。
だからこそ、言われた通りに愚直にやり続けること。それこそが、実は一番の近道なのだと、私は思います。基本を軽んじて自分なりの近道を探すよりも、まず本を勤め続けることの中にこそ、本当の近道が隠されているのだと感じています。
日々の生活に活かす
仕事でも学びでも、私たちはつい、基礎を早く済ませて応用に進みたくなるものです。自分なりのやり方を編み出したくなることもあるでしょう。
しかし、遠回りに見えても、まずは基本に忠実であること。土台がしっかりしていれば、その先の応用や、予期せぬ課題への対応も、自ずと整っていきます。焦って枝葉に手を伸ばす前に、まず根本に立ち返ること。それが、結局のところ、一番の近道なのかもしれません。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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