語釈
吹けば行く吹かねば行かぬ
風が吹けば流れ、吹かなければ流れない。雲が自ら動こうとするのではなく、外の力(風)にそのまま従う様子。
浮き雲(うきぐも)
空に漂う雲。ここでは、何ものにも執着せず、風の赴くままに漂う存在として詠まれている。
風に任する
風の吹くままに、身を委ねること。
身こそやすけれ
「やすけれ」は形容詞「安し」の已然形。「こそ」の係り結びで強調され、「(そのように身を任せている姿こそ)安らかである」という意味になる。
直訳
風が吹けば流れ、吹かなければ流れない浮き雲のように、風にすべてを任せている身こそ、安らかである。
現代語訳
浮き雲は、風が吹けば流れ、吹かなければそこに留まる。自ら「動こう」「留まろう」と考えることはありません。そのように、身を風の動きに委ねている姿こそ、最も安らかなのです。
解説
この歌は、浮き雲という自然の姿を通して、物事との関わり方における執着からの解放を説いています。
雲は、風という外の力に対して、抵抗も執着もしません。吹けば流れ、吹かなければそこに留まる。ただそれだけです。ここには「こう動きたい」という自らの意思も、「動かされたくない」という抵抗もありません。
私たちは、人との関係や物事の間合いにおいて、「こうしたい」「こうあるべきだ」という思いにとらわれると、かえって正しく動けなくなり、心にストレスを溜め込んでしまいます。相手や状況をコントロールしようとする心そのものが、心を疲れさせる原因になっているとも言えるでしょう。
自然界に目を向けると、鳥は日の出とともに起き、餌を探し、川で水を飲みます。昼間は木陰で休み、天敵から身を守る。夕方になれば再び餌を探し、夕暮れとともに巣へ帰って眠る。繁殖の時期が来れば子をなし、やがて命を終えていく。ただ、その営みを繰り返しているだけです。しかし、これほど単純なことを、人間はなかなか行うことができません。目の前のことに、あれこれと思案を巡らせ、余計な力みを生んでしまうからです。
江戸期に書かれた剣術思想書『天狗芸術論』にも、これと同じ境地を示す一節があります。
心が感じるままに動いて心に本来具わった自然の法則にしたがう時は、心の明快さが終始保たれ、気が妄動することはない。それは、たとえば舟が流れに従って川を下るようなものである。
舟が川の流れに逆らわず下っていく姿と、この歌に詠まれた浮き雲の姿は、まさに同じ境地を語っています。自らの心の自然な働きに逆らわず、外の流れにそのまま応じていくとき、心は乱れることなく、澄んだままでいられるのです。
私(塩崎関舟)の考え
稽古においても日常においても、私たちはつい「こうしたい」「こうならなければ」と考えすぎてしまいます。しかし、その思いが強くなるほど、心は疲れ、かえって物事がうまく運ばなくなることがあります。
これは、立合いの中でも同じだと感じています。「相手はこう来るかもしれない」「こう仕掛けよう」と考えを巡らせるほど、その考えそのものに心が捉われ、相手の実際の動きに応じることができなくなります。己を雲、相手を風とするならば、風がどちらから吹くかをあれこれ思案するのではなく、ただ吹いてきた風にそのまま従う雲のように、心を空にして相手と向き合うことこそ、望ましい在り方ではないでしょうか。
浮き雲のように、風にすべてを委ねる。そう聞くと、何もせず流されるだけのように感じるかもしれません。しかし実際には、無駄な抵抗をせず、その場その場に応じていくことこそ、最も理にかなった動き方なのだと思います。
鳥や獣の営みのように、ただ淡々とすべきことを行い、あとは自然の流れに任せる。そうした境地に至ることは簡単ではありませんが、稽古を重ねる中で、少しずつ近づいていけるものだと感じています。
日々の生活に活かす
仕事でも人間関係でも、私たちは思い通りにならないことに直面すると、つい抵抗したり、無理に状況を変えようとしたりしてしまいます。しかしそれは、多くの場合、余計な疲れやストレスを生むだけに終わります。
浮き雲のように、風という外の力に逆らわず、その時々の流れに応じていく。すべてを諦めるということではなく、コントロールできないことに執着せず、今できることに淡々と向き合う姿勢が、この歌の教えではないでしょうか。
流れに身を任せることは、決して弱さではありません。むしろ、それこそが、心を安らかに保つための、最も確かな強さなのだと思います。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
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