語釈
山澤河原崖や淵(やまさわかわらがけやふち)
山、沢、河原、崖、淵と、性質の異なる地形を列挙した表現。特定の一場所を指すのではなく、稽古の妨げとなりうるあらゆる環境を網羅的に示している。
飢え(うえ)
空腹。ここでは、稽古中の空腹や欠乏状態を指す。
寒暑(かんしょ)
寒さと暑さ。厳しい気候条件を表す。
身は無きものにして
身体の感覚を、無いものとして扱うこと。単に苦痛を我慢するというより、心が能動的に身体感覚を定義し直す、という強い意志を含んだ言い回し。
直訳
稽古は、山でも沢でも河原でも、崖でも淵でも(場所を選ばず行うものであり)、飢えも寒さ暑さも、身体には無いものとして行うべきである。
現代語訳
稽古は、山であろうと沢であろうと、河原、崖、淵、どのような厳しい環境であっても行うものです。空腹であっても、極寒であっても酷暑であっても、そうした身体の苦痛を無いものとして、稽古に励むべきである。
解説
この歌は、環境や身体の状態に関わらず稽古に励むことの大切さを説いています。
「山澤河原崖や淵」と、性質の異なる厳しい地形を連続して列挙している点に注目したいと思います。単に「どんな場所でも」とまとめず、一つひとつ具体的な困難を並べることで、稽古の妨げとなりうるあらゆる環境的要因を、余すところなく否定しているように読めます。
さらに「飢えも寒暑も身は無きものにして」という下の句は、単なる忍耐を説いているのではありません。「無いものにして」という言い方には、身体感覚を我慢して耐えるという受け身の姿勢ではなく、心が能動的に「この苦痛は存在しない」と定めてしまう、より強い意志が込められています。
私(塩崎関舟)の考え
心が体に支配されていれば、苦痛を感じたときに心も弱くなってしまいます。しかし、心が体を支配していれば、寒さや暑さ、空腹といった身体の状態に関わらず、稽古に打ち込むことができます。
私は、心が体に従うのではなく、心が体を支配する状態であるべきだと考えています。身体の感覚に心が引きずられてしまえば、稽古も、そして日々の生活も、外的な条件に左右されるものになってしまいます。
日々の生活に活かす
私たちは、天候が悪いから、体調が優れないから、忙しいからと、様々な理由で物事を先延ばしにしてしまうことがあります。もちろん、無理をして体を壊しては本末転倒です。しかし、少しの不調や環境の悪さを理由に、簡単にやるべきことから離れてしまってはいないでしょうか。
心が体に振り回されるのではなく、心が体を導く。この歌が伝える強さは、稽古だけでなく、日々の仕事や生活の中でも、私たちを支えてくれる教えだと思います。
百足伝 全釈について
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『百足伝全釈 ― 無外流の教えを現代に読む ―』は、無外流居合の源流である自鏡流の流祖、多賀自鏡軒盛政がまとめた『百足伝』四十首を、一首ずつ現代語訳・解説し、塩崎関舟の考えを交えながら読み解くシリーズです。
修行者の心構えはもちろん、現代を生きる私たちの日々の生活にも活かせる普遍の教えをお届けします。
ご注意
『百足伝』には、現在広く定着した現代語訳や解釈が存在するわけではありません。
本ページに掲載している直訳・現代語訳・解説は、古文書や関連資料、無外流の伝承、そして長年の稽古を踏まえ、塩崎関舟が現時点での研究成果としてまとめたものです。
解釈にあたっては、古文書や古典の専門家のご意見も伺いながら検証を進めておりますが、新たな史料や知見、また伝承との照合によって、今後内容を加筆・修正する場合があります。
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