居合とは

居合は、日本刀を鞘に収めた状態で帯刀し、不意な相手の攻撃に応じて鞘から抜き打つ攻撃をしたり、相手の攻撃を捌いて攻撃をする武術です。ただし、相手を倒すことが稽古ではなく無外流居合の道歌に「心こそ敵と思ひてすり磨け 心の外に敵はあらじな」とあるように、居合の稽古をとおして心を鍛えることが大切です。
劔和會で学べる居合は無外流で、江戸時代から続く流派です。無外流は、華美を排した質実剛健な居合として定評があります。無外流居合を稽古するうえでの心構えとして伝わっている『百足伝』をはじめ、臨済宗の禅との関係など心法を重んじる流派でもあり精神修養にもつながります。

無外流について

無外流 流祖 辻月丹
無外流 流祖 辻月丹

無外流は、1693年に辻月丹が江戸で興した剣術の流派です。
辻月丹は、近江国で生まれ山口流を修めた後、江戸で道場を開きます。大名との交流が多かったため、地方の武士も辻月丹の元で無外流を修行し全国に広がりました。昭和までは姫路藩や土佐藩の無外流が残りました。
辻月丹は禅者でもあり、麻布にあった臨済宗 妙心寺派 吸江寺の石潭禅師に師事して禅学と中国の古典を学びました。剣と禅は一如であるとし、門弟達にも参禅させていた。

明治以降の無外流

明治から大正の無外流

三郎三傑
三郎三傑。左から高橋赳太郎、高野佐三郎、川崎善三郎。1939年撮影。

明治期に警視庁で三郎三傑と言われた優れた三名の剣術家がいたが、このうち高橋赳太郎(姫路)と川崎善三郎(土佐)は無外流を納めた剣術家でした。こういった点からも無外流の強さが垣間見えます。
高橋赳太郎は、酒井家に仕えた武士で、姫路藩の剣術指南役高橋家の末裔として、藩校「好古堂」で武術を指南しており無外流高橋派の継承者となりました。明治維新の後、上京し警視庁撃剣世話掛の採用試験を受けて合格しました。
川崎善三郎は、土佐藩の武士で、無外流土方派の後継者でありましたが、戦後の動乱で土佐に伝わった無外流は失伝してしまいました。

現在の無外流

現在伝わっている無外流居合は、流祖から続く自鏡流居合を無外流の継承者が伝え、高橋赳太郎の弟子であった中川士竜先生が編纂し全国各地で稽古されています。

無外流居合の形

無外流の居合は、20本の形があります。華美な動きはなく質実剛健な居合という定評があります。
居合は、敵の動きに応じて瞬時に刀を抜き攻撃をします。平時には周りに心を配り、敵が攻撃してくると一切の隙も見せることなく瞬時に抜いて攻撃し、残心をして納刀します。心を乱すことなく集中して形を抜きます。

劔和會で無外流居合を学ぶ

無外流居合

劔和會では、山田畔舟先生のもと古来から伝わる無外流居合を正しく継承しています。山田畔舟先生は、現代の宮本武蔵と言われ武芸百般を収めた塩川先生の高弟であり無外流の免許皆伝を納めたが、さらに研鑽するために小西御佐一先生にも師事され小西先生からも無外流居合の免許皆伝を受けられています。塩川伝は『無外流居合兵道』と言い、小西伝では『無外真伝無外流居合兵道』と言います。
そのため、劔和會の無外流居合は塩川伝と小西伝の双方を分けて稽古しています。

居合の段位

居合の段位は3級から始まり2級、1級と上がり、初段から順に八段まで技量によって上がります。また、継承者の証として免許および免許皆伝の巻物があります。段位によって教わる形が増えるとともに、体の使い方、速さ、気迫など求められ、稽古によって習得した技量のレベルを認識するものです。決して、段位が上だからといって偉いといった物ではございません。習ったとおり素直に稽古していれば誰しもが上達できるというのが先人からの教えです。

居合に必要な用具

居合は道着と居合刀が必要になります。道着は会指定のものはございませんが、居合用や剣道用の道着を着用します。居合刀は、個々に適した長さがございますので、必ず事前にご相談ください。

道場

劔和會は東京・青山に常設道場があり、いつでも居合の稽古ができます。また、道着や居合刀などを置いておけるので、会社帰りなど荷物を持たずに道場に来れます。

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